最高裁判所第三小法廷 平成8年(行ツ)240号 判決 1998年1月27日
兵庫県西宮市苦楽園四番町五番六二号
上告人
川本新史
高知県南国市大埇乙一一八五―一―一〇六
上告人
川本憲正
兵庫県西宮市苦楽園四番町五番六二号
上告人
川本啓正
右三名訴訟代理人弁護士
太田全彦
兵庫県西宮市江上町三丁目三五番地
被上告人
西宮税務署長 黒崎光
右指定代理人
大竹聖一
右当事者間の大阪高等裁判所平成七年(行コ)第二八号所得税更正処分等取消請求事件について、同裁判所が平成八年七月二五日に言い渡した判決に対し、上告人らから上告があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人らの負担とする。
理由
上告代理人太田全彦の上告理由について
原審の適法に確定した事実関係の下においては、本件各所分は適法であるとした原審の判断は、正当として是認することができる。右判断は、所論引用の判例に抵触するものでない。論旨は、独自の見解に基づき若しくは原判決を正解しないでこれを非難するか、又は原判決の結論に影響のない事項についての違法を主張するものにすぎず、採用することができない。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 元原利文 裁判官 園部逸夫 裁判官 千種秀夫 裁判官 尾崎行信 裁判官 金谷利廣)
(平成八年(行ツ)第二四〇号 上告人 川本新史 外二名)
上告代理人太田全彦の上告理由
第一、原判決は最高裁判所第三小法廷昭和三七年一二月二五日判決(訟務月報九巻一号三八頁)及び最高裁判所第一小法廷平成元年九月一四日判決(判例時報一三三六号九三頁)に違反した判決をしている。
即ち、右最高裁判所昭和三七年判決は次のように判示している。「右上告人の主張の趣旨が所論の如く税額の減額化が本件契約の縁由ないし動機をなし、その点に関し錯誤があったから本件契約は無効であるというにあると見られてるとしても、およそ、動機の錯誤が法律行為の無効をきたすためには、その動機が明示または黙示に法律行為の内容とされていて、もし錯誤がなかったならば表意者はその意思表示をしなかったであろうと認められる場合でなければならない。従って動機が表示されていても、意思解釈上動機が法律行為の内容とされていないと認められる場合には、動機に存する錯誤は法律行為を無効にならしめるものではない。」と判示している。
この最高裁判所判決は、租税負担についての見込が売買契約の成否を左右する程度にまで関係が深ければ契約の要素となること、縁由または動機の表示は黙示的でもよいことを判示した点において意義があると評釈されている(「錯誤と租税法律関係」、日本税法学会創立四〇周年記念祝賀税法学論文集、一九九一年日本税法学会刊、一三七頁以下)。
上告人川本新史外二名(以下、上告人等という)が、本件現物出資をなすに至った動機は次のようなものである。
本件土地は昭和六二年頃上告人等がその祖父である川本新之助から買受け、所有するに至った物件であったが、その管理は父亡川本新一郎(以下、新一郎という)にすべて任せていた。昭和六三年八月下旬頃、新一郎は、本件土地の隣接地の所有者である訴外国産株式会社から土地の利用効率を考えて、本件土地とその隣接地二筆(一筆は右国産株式会社が所有し、他の一筆は新之助が所有している)を共同敷地にして一棟の共同賃貸ビル(以下、新ビルという)を建築してはどうかとの勧誘を受けた。
その際、新一郎としては、当時上告人川本新史は若年のサラリーマンであり、また川元憲正は大学生であり、更に川本啓正に至っては病気療養のため永年自宅療養を続けているというような状況にあったために、いずれにも建築資金は準備できないため、右新ビル建築に参加するには建築資金を借入れるしか他に方法がなかった。
ところで、(一)その資金の借入れは法人名義の方が有利であること(金融の手段の便利さ)、(二)建築された新ビルをその敷地の面積比率に応じて配分を受ける場合には、本件土地が上告人等三名の共有よりも一法人にした方が計算しやすいこと(新ビル建築後の他の土地所有者とのビル面積配分の単純化)、(三)建築された新ビルを賃貸するに際しても、上告人等三名の共有よりも一法人にした方が賃貸人が訴外国産株式会社等三名の名義になって手続きを単純化することが出来るという利便性があること(テナントビルの借主としての利便さ)等々に鑑みると、上告人等の共有にかかる本件土地を現物出資して法人にした方が、社会的経済的に何かと便利であると判断した。
しかしながらもし、右現物出資によって多額の課税負担が上告人等に生じるのであれば、上告人等には納税に充てる資金もないので、右のような現物出資をしないで社会的経済的な便利さを犠牲にしても本件土地は、上告人等三名の共有のまま新ビル建築に参加することもやむを得ないことであるので、新ビル建築の参加方法について迷い、逡巡していた。
このように新一郎は新ビル建築の参加方法をいずれにするか判断がつきかねていたが、本件土地を現物出資することによって法人を設立するということについては、極めて漠然とした大きな不安感が新一郎の念頭にあったのである。その不安感の原因が何に由来するのかといえば、(一)その頃迄に新一郎は会社の経営に永年携わってきてはいたけれども、本件のような土地を現物出資して法人を設立するというような取引行為をしたことは過去に一度もないために、その取引に対する税負担に対する見通しが全くたたなかたこと。また、これに加えて、(二)当時は日本経済がバブルの絶頂期にあり、二・三月後ないしは半年の間に、土地が極めて異常な高騰をしているという事実も不安感を掻き立てるのに拍車をかけていた。更に、(三)最も重要なことは、仮に課税負担が発生するという事態になれば、先に述べた如く、上告人川本新史は当時まだ一介のサラリーマンであったし、川本憲正は当時大学生の身分であり、川本啓正は永年病気療養のため自宅で療養を続けているような状況であったことから多額な課税負担が発生した時には、これを支払う資金的能力は全くないということが不安を増大していた最大の原因であった。
そこで新一郎は、税理士大平漸(以下、大平という)に対し、本件現物出資により上告人等に課税負担の発生がありうるのか否かについて充分なる検討をして欲しい旨相談をし、依頼をしたのである。大平は、本件土地を上告人等がその祖父川本新之助から取得するに際しても関与したことから、その取得価格を熟知しており、その取得価格が税務承認されている以上、その取得価格にほぼ匹敵する価格で現物出資をすれば、課税負担はないと回答した。大平が課税負担が生じない旨回答するに当たっては、所得税法五九条一項二号の低廉譲渡にならなれけばよいのではないかとする考えが念頭にあり、その為取得価格とほぼ同額で現物出資をすれば所得税法五九条一項二号の「著しく低い価格での譲渡」に該当しないだろう。従って時価によるみなし譲渡にはならないだろうと判断したのである。
大平の右回答を得て新一郎は有限会社川本を設立することを決断し、その手続きの一切を大平に依頼し、本件現物出資をなすに至ったのである。
その後平成二年一月末頃、所轄税務署から譲渡内容についての御尋ね兼計算書(甲第二〇号証―一~三)が送付されてきたので、大平は上告人等には昭和六二年の所得発生はない旨右書類に記入して、税務署に提出した。
しかし、平成二年一〇月頃、所轄税務署の資産税部門の寺岡上席調査官が大平に対し、本件現物出資によって譲渡所得が発生しているので、申告して欲しい旨電話で伝えてきた。大平は、本件現物出資によって税務署のいう如く、はたして課税所得が発生するのか否かについて、友人でもあった複数の同業税理士に相談したところ、税務署の見解と同じく譲渡所得が発生する旨の回答を得た。そこで大平は初めて自らの本件税務相談に対する回答が誤っていたことを認識し、このままでは新一郎が危惧していたことが現実となり、上告人等にはその課税された税金を納付するだけの資力が全くないことを承知していたので、直ちに本件現物出資をしたのは錯誤によるものであり、本件現物出資を錯誤により無効として、出資前の状態に戻すより他に方法がないと判断し、その旨新一郎に進言した。新一郎は漠然とした不安を持っていたことが現実となり茫然としたが、他に解決策はなく、やむを得ずこれを承知した。
上告人等は平成二年一〇月三一日訴外会社(有限会社川本)の社員総会を開催し、本件現物出資は錯誤により無効であるとして、本件現物出資を金銭出資に切り替え変更する旨決議をしたのである。ところが本件土地はその頃既に新ビルの敷地として使用されていたので、上告人等は本件土地を三名共有のままを賃貸する以外、他に選択の余地はないので、本件土地を賃貸することにしたのである。大平はそれと同時に本件土地の有限会社川本に対する所有権移転登記抹消登記手続をするべく訴外小林君男司法書士に依頼し、早急にその手続きをすすめるよう懇願したが、本件土地の抵当権者である訴外日本開発銀行の承認が容易に得られなかった為に、本件土地の所有権移転登記抹消登記手続は平成三年四月八日になってやっと完了する結果となった。
右のような事実からすれば、新一郎はもともと本件現物出資によって上告人等に税負担があるとすれば、あえて経済的社会的な利便性を犠牲にしても、(即ち本件現物出資等をして法人を設立する等しないで)本件土地を上告人等三名共有のまま賃貸することとし、新ビル建設に参画することが充分可能であったのであるから、その道を選択していた筈であることは前述の経緯から明白である。経済的利便性、社会的利便性のためだけを目的として、本件土地を現物出資して法人を設立しようとしたものであるから、本件現物出資をなすにあたって上告人等に税負担がないということが、本件現物出資をなすにあたっての動機に過ぎないとしても、その動機は表示されており、本件現物出資をなすにあたっての重要な要素となっているものといわなければならない。そうだとすれば右最高裁判所判例に説かれている如く、現物出資という法律行為をなすにあたって、課税負担がないことが本件現物出資の成否を左右する程度にまで重大な関係を持っており、現物出資という法律行為の要素となっているといわなければならない。
よって本件現物出資をするにあたって、本件課税の如き高額な税負担があると判明した時点で現物出資は要素の錯誤により無効であるといわなければならない。右有限会社川本の平成二年一〇月三一日の社員総会の決議は本件現物出資が錯誤無効であることを確認したに過ぎないといわなければならない。
然るに原判決は本件現物出資によって上告人等に税負担がないということは同人等が右現物出資をなすにあたっての動機に過ぎないと判断し、(一)その動機は表示されていないから無効をきたさないとか(二)税負担がないと錯誤したというのは単なる計算方法上の錯誤に過ぎず、この点に錯誤があるとしても実務はいずれの見解によって算定しているかは容易に知り得た事柄であるから、本件現物出資の無効をきたさない等と判示しているが、いずれも右最高裁判所の判例に違反しているものだといわなければならない。
なぜならば右判例によれば、動機は黙示的なものであってもよいとし、税負担についての見込が現物出資の成否を左右する程度にまで関係が深ければ要素の錯誤として当然無効をきたすものであるとされているからである。また、原判決がいずれの見解によって算定しているか容易に知り得た事柄であるとする点においても錯誤があったか否かについては、一般的実務社会における見解がどうであれ、契約の当事者を基準として判定されるべきことであり、具体的個別的契約の当事者間において錯誤があったのか否かで判断しなければならないのである。原判決は民法九五条の錯誤に関する解釈適用を誤っているものといわなければならない。
第二、原判決は有限会社川本の設立後は現物出資の意思表示が錯誤により無効である旨の主張は出来ないと判示し、商法一九一条の規定を準用または類推適用しているが、これは明らかに有限会社法及び商法一九一条の解釈、適用を誤ったものである。
即ち多くの会社法の重要な規定は有限会社に準用されているが、商法一九一条は有限会社法には準用されていない。それは有限会社の設立にあっては、有限会社法一五条により取締役・社員の出資填補償責任を定めているために、仮に現物出資について錯誤による無効の主張がなされた時にはその現物出資については取締役・社員の右出資填補償責任により連帯して払込みがなされるため、「資本充実の原則」が害されることがないからである。
なお上告人等は平成七年一二月末迄に金銭出資の履行をすべて完了している。
よって、原判決は商法一九一条、有限会社法一五条の解釈適用を誤っているものといわなければならない。
第三、原判決は国税通則法二三条二項三号及び国税通則法施行令六条一項二号の解釈適用を誤っている。
即ち原判決は、有限会社設立時に現物出資をするにあたりその評価を取得価格をもって現物出資をすれば課税されないものと誤解して現物出資をしたところ、後にその現物出資は時価により評価され、その結果課税されることが判明したような場合は、右法条の「やむを得ない事情」に該当しないとして次のように判示している。
即ち原判決は仮に上告人等がその主張のような本件現物出資を撤回(合意解除)(正確には錯誤による無効確認)していたとしても、そもそも所得税の納税義務は暦年の終了の時に成立するものであるから、申告や更正決定による課税標準等又は、税額等が確定した後にその計算の基礎となる取引行為に合意解除による変更があったとしても遡ってすでに確定した課税標準等が是正されるものではないと解すのが相当であると判示している。
しかしながら、課税の実質的基礎が失われた後も従前の課税を維持することは租税負担の公平を害する。そのためにその救済手続として後発的事由による更正の請求の手続が国税通則法二三条二項に定められているのである。すなわち、仮に土地の売買契約をし、売主が譲渡所得について申告、納付をした後その売買契約の効力が争われ当事者において錯誤無効が確認されたとする。国税通則法二三条二項一号は課税標準または税額等の計算の基礎となった事実に関する訴についての判決によりその事実が当該計算の基礎としたところと異なることが確定したときと規定し、判決と同一の効力を有する和解調停等を判決に含ませている。そこで、売買契約に錯誤があったため当事者双方がその売買契約を無効であることを合意しただけでは更正の請求の原因にはならないのかが問題となる。ところで、国税通則法施行令六条一項二号によれば契約が解除権の行使により解除されたことも国税通則法二三条二項三号の「やむを得ない理由」であると定め、このことについて判決の確定を要求していないし、国税通則法七一条二号も課税標準の計算の基礎となった事実のうちに含まれていた無効な行為により生じた経済的成果がその行為の無効であることに基因して失われたときは、職権による減額更正の途を開いているのであるから、売買当事者間で錯誤無効が確認されたときも同法二三条二項三号によって更正の請求をすることができるものと解釈されている。(竹下重人「錯誤と租税法律関係」日本税法学会創立四〇周年記念祝賀税法学論文集、一九九一年日本税法学会刊、一四〇頁以下)。
従って、本件現物出資について上告人等が平成二年一〇月三一日に有限会社川本の社員総会を開催し、本件現物出資は錯誤によって無効であることを確認するとともに、本件現物出資を金銭出資に切り替えることを決議し、それに添うような処置をとり、また本件土地の有限会社川本への所有権移転登記手続についても抹消登記手続を平成三年四月八日に完了しているのであるから、国税通則法二三条二項三号によって更正の請求が認められるべきであると言わなければならない。
以上のとおり原判決は国税通則法二三条二項三号及び国税通則法施行令六条一項二号の解釈適用を誤っているものといわなければならない。
以上